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大阪地方裁判所堺支部 昭和36年(わ)277号 判決

被告人 奥野清

大一四・三・二六生 無職

主文

被告人を死刑に処する。

押収してある鋸(昭和三七年裁押第一九号の一)及び庖丁(同号の二)各壱丁は、これを没収する。

理由

(被告人の略歴と本件に至るまでの経緯)

被告人は、大阪市内で雑貨商を営む奥野亀太郎、同ヒサヱ(明治三四年一一月生)の一人息として両親の愛を一身にあつめて成育し、府立城東職工学校へ進学したものの病気欠席などのため成績が悪く、落第するのを嫌つて同校を三年で退学し、その後、工員として働いていたところ、父亀太郎が昭和一九年三月に死亡し、母が大阪市住吉区墨江東一丁目三九番地の二階建家屋一棟を借り受け同所で漬物商を始めたため、被告人も母と一緒に居住し、引続き工員として働いていた。そして被告人は、第二次大戦の終結により工員を辞め、その後、闇物資を扱つたり、家業の漬物商を手伝つたりしていたが、昭和二二年四―五月頃から他の漬物店の店員となつて働くうち、有価証券偽造・同行使・詐欺・窃盗・横領の各罪を犯し、昭和二三年四月一六日大阪地方裁判所において懲役壱年六月に処せられ、保釈出所するや家出して京都に行き、盗品などを扱つて徒食するうち、他の男と共謀のうえ、一人暮しの老婆を殺害して金品を強取したため、昭和二四年二月二日大阪地方裁判所において強盗殺人罪として懲役拾五年に処せられ、右前者の刑に引続き後者の刑を服役中、昭和三二年八月二〇日仮釈放により出所し、母ヒサヱの許に帰つて漬物商を手伝つていたところ、当時被告人方二階に間借りしていた伊藤淑江(昭和二年生)と懇な仲になり、昭和三三年五月七日結婚式をして、その後は被告人と妻淑江が二階に、母ヒサヱが階下に起居し、ヒサヱが世帯の切り盛りをしていた。このように、被告人は、母の営む漬物商を手伝つていたが、売れ行きが思わしくないので、昭和三四年七月頃八尾市内の鉄工所に就職したが、パチンコ遊びに耽つて仕事を怠け、二ヶ月位働いたのみで家族に内緒で退職し、それが母らに知れて、二度とパチンコなどをしないと誓い、同年九月二〇日頃大阪市阿倍野区内の三藤製薬機製作所に仕上工として就職したものの、ここでも馴れるにつれて仕事を怠け、母や妻の注意を受け流し、妻の衣類を入質するなどして再びパチンコ遊びに熱中し、昭和三五年五月中旬には自然退職となつたが、そのことを家族に秘して徒食していたものである。

他方、母の営む漬物商は依然として営業不振を続け、被告人が出所した当時の借金約二〇万円が昭和三五年初頭には約四〇万円にふくれ上り、日掛返済金五〇〇円宛の支払もあつて生活が極度に苦しいうえ、金策や借金取立に対する応接などが煩わしいため、母に対し漬物商をやめて営業権を売り借金の整理をするように促したところ、頑として応じないばかりか、被告人に対し「お前は酒ばかり飲んで怠ける。」などと屡々嫌味をいうので、次第に母の存在が邪魔になり、死んでくれれば自分の思うようになると、秘かに母の死を願い、母が身体の不調を訴えた昭和三五年三月頃と五月頃の二回に、その病気を悪化させる目的で、秘かに適量以上の睡眠薬を服用させたこともあつた。

(罪となるべき事実)

かくて被告人は、

第一、昭和三五年六月六日夜閉店後、母ヒサヱが頭痛を訴えるや、その病気を悪化させるため、トンプク薬にかねてより買つていた睡眠薬を混入して服用させたところ、翌七日予想通り母が寝ついたので、同日午後九時三〇分頃母が死んでくれればよいと考えながら、自宅階下三畳の間に寝ていた母に対し、一回一錠宛とされている睡眠薬四錠を、一度に服用すればよく効くといつて服用方を勧め、それを母の枕辺に置いて二階に上り床についたが、母の死に対する期待などのため興奮して寝れないまま、翌八日午前二時頃階下に降りて母が右睡眠薬全量を服用したことを確認したのち、その効きめをたしかめるべく母を呼んでみたが、反応がないのでいよいよその死に対する期待を深めながら寝床に帰り、家や死体の処分などにつき思案をして、八日午前五時頃再度母の寝所に行き、その様子をうかがつたところ、母が「気分が悪い。」などといつて苦悶しだしたので、この際、一思いに殺害しようと決意し、両手で寝ている母の頸部を扼圧して即時母ヒサヱを窒息死させ、

第二、右犯行直後、母ヒサヱの死体を押入れに隠し、間もなく起きて来た妻や、更に近所の人達に対し、母が「親戚に行つた。」などと偽つてうわべをつくろいながら、死体の処置を考えたすえ、亡父の眠つている平尾墓地の近くへ運んで埋めようと決意し、同日妻淑江が外出した隙に母の死体を柳行李に詰めようとしたが、入りきらないので、損壊して運搬することにして、死体を一旦隠し、同月一〇日妻を郷里の山口県美弥市に帰したうえ、翌一一日午後一〇時頃母の死体を流し場へ運び出し、鋸(昭和三七年裁押第一九号の一)と菜切庖丁(同号の二)を使い翌一二日午前二時頃までかかつて死体の両足をそのつけ根の附近から切断して損壊した後、両足と上体をそれぞれ布切れやナイロン等で包み、、両足を竹篭に、また上体を竹行李に詰めて梱包し、同日午前五時頃右竹篭を自転車に積み、大阪府南河内郡美原町平尾長池三二二六番地先の通称平尾峠に運搬して雑木林内に放置し、更に上体を詰めた竹行李を他の家具類とともに一旦右平尾峠の近くに住む伯母奥野モヨ方の納屋に運び込み、同年七月九日自転車に積んで平尾峠に運搬し、右竹篭の傍に放置して遺棄し、

たものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、「被告人は、慢性的不眠症のうえ、本件当時借金苦に悩まされて理性的統禦が極度に弱まり、是非善悪を弁識判断する能力が著しく阻害され、心神耗弱の状態にあつた。」と主張するので、この点につき判断する。

先ず被告人は、当公廷において、弁護人の主張に符合する供述をし、被告人の昭和三六年一〇月二日付司法警察員に対する供述調書(証第八〇号)五項及び検察官に対する供述調書(証第八七号)一一項にも同旨の記載が認められ、これらと証人中野佐市の当公廷における供述及び同人の司法巡査に対する供述調書(証第二五号)を綜合すると、被告人は、昭和三五年五―六月頃中野薬局において、睡眠薬一服を調合して貰つて買い、その翌日頃再び同薬局に行き、「さきに買つた薬が効かなかつた。」といつて、より強力な睡眠薬二服を買い、その翌々日頃にも前同様のことをいつて更に強力な睡眠薬三服を求めている事実が認められ、これによると、被告人は、当時かなり重い不眠症に罹つていたのではないかとの疑はある。しかしながら他方証人中野佐市は、右睡眠薬を買いに来た時の被告人につき、「大低睡眠薬を飲む人は、顔色が悪く、眼がよどんで疲れているのに、被告人は眼が澄んでいるし、いつもにこにこしているのでおかしいと思つた。そんな風なので特に印象に残つていた。」という趣旨の供述をし、また被告人が右に推測されるような状態にあつたとすれば、二年有半も生活を共にしていた妻淑江がその事に気がつかぬ筈はないと考えられるのに、同女の検察官に対する供述調書(証第六七号)六項には「夫はシロンとか風邪薬とかをよく飲んでいたが、睡眠薬とか鎮静剤を飲んでいたかどうか知らなかつた。」という趣旨の記載があり、更に被告人の当公廷における供述によると、被告人は、右の如くにして買い求めた睡眠薬の一部を母に服用させていることも認められ、これらの事実に徴すると、被告人の不眠症に罹つていた旨の弁疎はにわかに信用し難いだけでなく、むしろ右睡眠薬の購入は、他に目的があつたからではないかとの疑さえ生じさせるのである。更に、判示認定の被告人の生活態度からして、借金苦が被告人にとりそれ程の重圧になつていたとも考えられない。要するに、被告人の不眠的症状や借金苦が本件当時、被告人の思考能力や判断能力に影響を及ぼす程のものでなかつたことが充分に窺われるのであつて、他に被告人の精神的異常を思わせるような資料も認められない。却つて被告人は判示認定の如く本件犯行当時のことをよく記憶しており、また犯行直後から極めて綿密な計画に従つて適確な行動をなし、何らの破綻をも示していないのであつて、これらの事実を綜合すると、被告人が本件犯行当時、心神耗弱の状態にあつたとは到底認められないので弁護人の右主張は採用しない。

次に、検察官は、判示認定の死体損壊と同遺棄は別罪を構成し、併合罪の関係にあると主張するが、刑法第一九〇条の保護法益に鑑み、判示の如く同一意思の発動のもとに死体を損壊して遺棄した場合には、包括して死体損壊遺棄の一罪を構成すると解するのが相当である(大審院昭和一一年七月二日刑集一五巻九二〇頁以下参照。なお併合罪として起訴された各事実を一罪と認定処断するには格別の手続を要しないことにつき、最高裁判所昭和三五年一一月一五日集一四巻一三号一六七七頁以下参照)。

(法令の適用)

被告人の判示第一の尊属殺人の所為は刑法第二〇〇条に、同第二の死体損壊遺棄の所為は同法第一九〇条に、各該当する。

よつて量刑につき検討すると、被告人は、自己を生み且つ愛育してくれた母ヒサヱに対し、何らむくいるところがないばかりか、判示の如き非行を重ねて人一倍苦労をかけたすえ、被告人を信頼し切つていた母の死を願つて、何ら責めらるべき点の認められない母を計画的に殺害したのみならず、亡父の眠る墓地の近くに運ぶためとはいえ、母の死体を判示の如く損壊してしまつているのであつて、その行為から推認される被告人の非情さ及び惨忍さには、戦慄をさえ覚えるのである。しかも被告人は、前刑において、人命の尊さとそれを奪うことの罪の深さにつき、反省悔悟の機会を充分に与えられ、再び罪を犯さない決意を固めて仮釈放により出所したと思はれるのに、未だ数年を経ずして、気儘な生活を望むの余り、その障碍になるからという簡単な理由で、母親を殺害するに至つた自己中心的、忘恩的性格及び犯行の動機は悪質にして重大であるといわなければならない。そのうえ、被告人が犯行後逮捕されるまでの間、亡き母の冥福を祈るとか良心の苛責に悩んだと思われる形跡も殆んど認められない。もつとも、被告人は、当公廷及び拘禁中において、反省悔悟の情を示している事実が認められるのであるが、同時に本件の責任の一端が母にあつたかの如き口[口忽]をも洩らすのであり、総じて被告人の自己中心的な考え方や性格は、既に固定化し、社会的危険性や反社会性も極めて高いというべきである。よつて、以上の事実及びその他諸般の事情を考慮して、尊属殺人の罪につき所定刑中死刑を選択することとする。ところで尊属殺人の罪と死体損壊遺棄の罪とは刑法第四五条前段の併合罪であるが、前者につき死刑を選択するので、同法第四六条第一項本文の規定に従つて他の刑を科さず、被告人を死刑に処し、押収してある鋸(昭和三七年裁押第一九号の一)及び庖丁(同号の二)各壱丁は判示第二の死体損壊の用に供したもので、被告人以外の物の所有に属しないから、刑法第一九条第一項第二号第二項に従いこれを没収することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 国政真男 塩見秀則 石田真)

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